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木村輝久「きらめき」 2012年8月号

着実に進められる中国人民元の国際化

去る6月1日から、上海と東京の外国為替市場で人民元と円の直接取引が可能となった。
初値は1元、12円33銭と記録されている。ドルは別としてロシア・ルーブル、マレーシア・
リンギッドに次ぐものとなる訳で、中国政府が進める人民元の国際化が又一歩前進したと
言ってよい。中国がドルを介在させずに元と円の直接取引を容認したのは、このところ低
迷するアメリカの経済情勢、それを反映する金融政策、さらには最近の中国包囲網を強化
する外交戦略などによって生じる為替リスクを回避するためと考えられる。さらにドルを
介在させることで生じる為替決済時の時差リスクを少なくできるというメリットもある。
上海と東京の時差は1時間しかないからである。勿論手数料も安くなる。その後の取引状
況は事前の予想より活発だが、相場の変動幅は3%以下、日々の取引終了後の元保有残高
が制限されるなど未だ制約は多い。
中国にとって日本は世界最大の輸出相手国であり、これを機に中国の対日輸出が一層増
加すると見る向きもある。日中間の貿易取引に使用される通貨についての公式統計はない
が、現状では3分の1弱が円建て、人民元建ては精々1~2%程度で、60~70%がドル建て
になっている。ここ数年来中国は、したたかな計算の基に緩慢ではあるが着々とドルの一
極支配体制に楔を打ち込んで来ている。今月は時系列的にその動きを振り返りながら、今
後の動向を考えてみたい。
2005 年7 月、中国政府はそれまでドルに固定していた人民元相場の管理システムを、
複数の通貨の動きに連動させる、所謂「通貨バスケット制」に変更することを表明して各
国の注目を集めた。それ以降、元ドル相場は概ね元高基調で推移して来た。しかしその後
リーマンショックなどの金融危機で再びドルに固定されてしまったことはご承知のとお
りである。2007 年5 月には、人民元相場の変動幅を拡大する用意があるとの報道があっ
たがそれが実現したのは何と今年の4 月だった。具体的には1 日の変動幅が上下0.5%か
ら1%に拡げられた。その背景には、貿易黒字の縮小や景気の下振れで海外からの資金流
入が減り、元の先高観が薄らいだことがある。さらに変動幅が狭いままだと、元相場の下
落リスクが限られ投機資金が流入し易くなる。元の先高観が後退したタイミングを捉えて
変動幅を拡大しバブルに繋がる短期資金の大量流入を牽制するという目論見があること
は間違いない。勿論、市場の需給に応じて自由に値が動くわけではなく、1%を超えて動き
そうな場合は当局が介入する。さらに銀行間の為替取引の場は、人民銀行直属の外貨取引
センターに限定されており、当局の厳しい監視下に置かれている。「管理フローと制」と
云われるものである。外圧によらず主体的な判断で進めるという中国の通貨相場管理の基

本姿勢は変わらず、従って市場介入で相場の急変を回避するという従来の方針に変わりは
ない。2009 年3 月、中国人民銀行の周小川総裁は「現行の通貨システムのために世界が
支払った代償は、その利益よりも大きい」と、ドル機軸体制を強く批判した。そしこの年
7月、中国政府は2国間取引の決済を第3国通貨で行うと為替リスクが生じ易いとして人
民元決済による対外取引の解禁に踏み切った。その結果、上海市、広東省で人民元建てに
よる貿易決済が可能となり、人民元国際化の大きな前進として話題を呼んだことは記憶に
新しい。翌年には貿易取引の決済を人民元で行える海外の対象地域制限を撤廃、現在は中
国国内での地域制限もなくなっている。
このように2008 年のリーマンショック以降、人民元建ての貿易決済の解禁が続けられ
て来た。これは取りも直さずドルへの信頼が揺らいで輸出企業が為替リスクに晒される恐
れが強くなったためである。一方で中国人民銀行はこれまでに20 近い国・地域と通貨ス
ワップ協定を結んできている。この協定の特徴は基軸通貨ドルではなく、人民元との交換
にある。流動性危機に対する備えというよりは、中央銀行を通じて人民元を調達する仕組
みを整備して、相手国企業が中国企業との元建て決済に応じ易くすることを狙うものだ。
来年開催予定のBRICS首脳会議までにはBRICS域内でのスワップ協定構築に向けて具体
策が固められるとの報道もある。
今年になってからは人民元建て債券市場の拡大も進んだ。即ち4月に証券市場の活性化
を狙って、海外投資家の一部に限定している中国証券市場への投資枠を拡大、6 月には香
港で過去最大となる230億元の人民元建て国債を発行、外貨準備用として海外の中央銀行
向けにも割り当てた。しかも期限15年の長期国債である。2007年に香港で解禁された「点
心債」と呼ばれる人民元建て債券の市場も規制の緩和で拡大している。香港金融管理局(香
港の中央銀行)の発表によれば、本年1~6月の起債総額は前年同期比52%増の670億元余
に達しており、中国政府系の金融機関、宝鋼集団などの大手国有企業の他、ドイツの復興
金融公庫やアラブ首長国連合の最大手銀行エミレーツNBDなど、日本企業では三井物産、
日立キャピタルが発行している。発行側の多くは投資や貿易決済のために人民元の資金需
要が増している上、運用通貨としての使い勝手が良くなっていることも魅力になっている。
一方、投資する側にとっては、運用利回りの上昇と共に人民元の運用手段の拡大にも繋が
ることから、今後も市場が一層拡大すると見て間違いない。その背景には人民元の国際化
を目指す中国政府のバックアップが伺える。
さらに最近の報道で注目されるのがアフリカ諸国との貿易決済の一部を人民元に切り
替えたことである。中国政府は、アフリカ諸国のインフラ整備支援に多額の借款を提供す
ると同時に、これを梃子に、既に成熟市場になってしまった欧州に替わる新しい市場とし
て、他の先進諸国に先駆けてアフリカ市場開拓に注力している。
また、昨年夏以降、香港経由による中国の金輸入が増加していることも見逃せない。中
国は現在世界最大の金産出国だが、人民銀行保有の公表金資産は1054 トン、外貨準備の
2%に満たない。金保有の多い国は国際金融秩序にも強い影響力を持つことを考えると、中
国の金備蓄の増強は、やがて基軸通貨としての米国ドルの地位を脅かすことに繋がる。
以上述べてきたとおり多くの面で新たな動きが出ているが、為替、資本取引に関しては
依然として厳しい規制が残されている。国際基軸通貨の座を勝ち取る為には、やはりそれ
なりの時間が必要となるであろう。 (以上)