木村輝久「きらめき」 2013年3月号
TPP問題を考える
安倍首相は、先月28日の衆議院本会議に於ける就任後初の施政方針演説で、TPPについ
て先のオバマ大統領との日米首脳会談で「聖域なき関税撤廃」が交渉の前提ではないことを
確認、守るべきは守り、国益に適う経済連携を進めると表明、TPP の交渉参加は 政府の専
権事項であり、政府の責任で交渉参加を判断することを明確にした。安倍政権が経済政策と
して掲げる三本の矢のひとつである『成長戦略』が目指す規制緩和の中に、TPP参加が組み
込まれており、首相は「攻めの農業政策」の必要性を訴えている。既にTTPで影響を受ける
農業支援のため、産業競争力会議では農産品輸出の倍増、農地活用の計画作りに着手したと
聞く。一方、民主党、維新の会、みんなの党の有志議員が「TPP交渉促進議員連盟」の設立
総会を開催し、政府の交渉参加をバックアップする体勢に入っている。
TPP(環太平洋経済連携協定)について、これまでの動きを取り纏めて見ると、
2006 年5 月、ブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポール4 か国が参加する環太平
洋戦略的経済連携協定発足。2008 年9 月、米国が交渉参加。11 月、オーストラリア、ペル
ー、ベトナムが参加表明。2009年11月、米国が参加表明。2010年3月、第1回TPP交渉、
米国を含む参加8 か国で拡大交渉開始。10 月、菅当時総理が所信表明演説でTPP 参加検討
を表明。2011年11月、野田当時総理がTPP交渉参加に向け関係国との協議入り表明。2012
年6月、カナダ、メキシコのTPP交渉参加が認められる。11月、タイがTPP参加を表明。
間もなく政府は正式にTPP交渉参加を申し出ることになるが、これを既加入各国が承認し
て始めて交渉のテーブルに着くことができる。この間に政府は各国と個別に「関税聖域」の
調整を進める段取りだが、最低でも3ヵ月は掛かるとされ、従って5月にペルーで開催予定
の会合に間に合う可能性は低い。次は9月の第18回交渉会議ということになる。
日本が交渉に参加することについて シンガポールやベトナムなどアジアの新興国は総
じて好意的だが、米国、オーストラリア、ニュージーランドは現段階では態度を明確にして
いない。TPP問題を、「米国が日本に自由化を迫る現代の黒船襲来だ」と言う人がいるが、こ
れは間違いで、米国内には、「日本から国内市場を守りたい」動きもある。現に米国の自動
車業界などは日本の加入に反対している。日本の聖域が米だとすれば米国の聖域は小型トラ
ック。嘗て日米貿易摩擦問題を解決するため、日本は米国車の輸入関税を6.4%から一挙にゼ
ロにした。一方の米国は乗用車2.5%、トラック25%の輸入関税を残している。さらに米国は
日本側にある非課税障壁の見直しに拘っており、例えば、米国の大型車にとって障壁となっ
ている軽自動車軽減税率の撤廃や車検の簡素化などを求めてくる見通しである。
国内では、「関税聖域」をどれだけ絞り込むかが当面の最大の課題となる。JA(全国農業協
同組合中央会)の萬歳会長は、TPP交渉参加の条件として、米、麦、砂糖、乳製品、牛肉の5
品目を除外することを政府に申し入れている。また自民党の外交・経済連携調査会は、
守るべき国益として①米、麦、牛肉、乳製品など農林水産物の重要品目は関税を残す②自動車の
安全基準を損なわない③国民皆保険制度と公的薬価制度の維持④食の安全基準維持などを
盛り込む決議文を安部首相に提出している。党内には昨年末の衆院選でJA グループの推薦
を受けて当選した国会議員が160人以上いることからこれは已むを得まい。
国際条約で定められた関税品目(関税を課すために分類された貿易品目)は、現在9018 品
目、我が国が聖域とする米、麦など前記5品目の合計は487で、これをそのまま残した場合
の自由化率は94.6%になる。最近発効した韓国とEU、あるいは米韓の自由貿易協定(FTA)な
どの自由化率は概ね98%前後で、TPP交渉参加国も98%以上の自由化率を想定しているようだ。
現在我が国の米(58品目ある)の関税率は788%、砂糖(81品目)328%となっており、政府はこ
の二つを関税維持の最重要分野と位置づけているが、それはそれとして抜本的農政改革なく
して、農業活性化はあり得ない土壇場に来ていると言って過言ではあるまい。
先日、筆者も参加した講演会で早稲田大学の原田泰教授は「TPP 反対論のうち農業以外は
被害妄想に近い。農業団体が反対論強化のために他に働きかけた結果と考えても良いくらい
だ」と言っておられた。例えば米国型の医療制度を押し付けられると日本の医療制度が損な
われるというが、米国の医療制度の弱点は世界的に著名であり、これを受け入れる国など無
いというのが各国の共通認識となっている。最近の世論調査では、TPP交渉参加に賛成が47%、
反対が33%で時間の経過と共に賛成派が増加している。
外務省出身で日本総研国際戦略研究所の田中均理事長は、2 月5 日付日経新聞の経済教室
で「日本がTPPでルール作りに参加することは、東アジア経済連携を進める上で欠かせない。
自由経済体制のルールを作ることで、大市場を持つ国家資本主義国家中国に飲み込まれるこ
とを防御できる。農業が壊滅すると受身で考えるのは間違いだ」と書かれている。
TPP への加盟は、日本の経済外交上極めて重要な意味を持つ。一例を挙げればTPP 参加で
門戸を開くことは、日中韓自由貿易協定、東アジア地域包括的経済連携を進める上で、非常
に有利になる。さらにアジアのみならずEU とのFTA 交渉にも弾みがつく。アジア地域には
国内産業保護のために高い関税を設けている国も多い。これらを我が国の輸出市場に取り込
んでいくためには当然のことながらまず自国の門を開くことが求められる。
2 月中旬、米国とEU の自由貿易協定交渉がスタートした。働きかけたのはEU、その背景
には中国を始めとするアジア各国の急速な台頭に対する危機感がある。当初EU は米国産牛
肉の輸入規制緩和を提示したが、米国はEU の農畜産物検疫制度が非関税障壁だと交渉入り
に難色を示した。遺伝子組換え食品や成長ホルモン使用を拒否し、製品の安全基準に厳格な
EU と規制緩和を求める米国との溝は深く協定成立には相当の時間が必要との見方もあるが、
世界のGDPに占めるEUと米国のシェアーは約50%、この協定が実現すれば環大西洋貿易自由
化の枠組みとなり、関税撤廃だけでなく、投資、政府調達、非関税障壁、知的財産権、サー
ビス取引などを含めて極めて高度の自由化が実現、その経済規模から見て世界標準となる公
算が大きい。米欧主導でルールが作られれば我が国は後手に回ってしまう。日本がTPPに参
加しない場合はこの枠組みに入れず、取り残されることになる。
米国が経済連携協定(EPA)を締結した国・地域との貿易比率は39%、EUが29%、日本は19%、
まさに1周遅れどころではない。この危機から脱却するため、既得権益に固執する者との対
決、排除に、政府の強靭な意志とエネルギー、実行力を期待してやまない。 (以上)