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木村輝久「きらめき」 2013年9月号

「アラブの春」とエジプトの騒乱を考える

7月初旬、エジプトのモルシ大統領が軍によるクーデターで解任されて以来、モルシ氏
を支持するイスラム組織ムスリム同胞団のデモ活動が拡大、これを阻止する暫定政権の治
安部隊すなわち軍との対立が激化、今後の動向が注目される。この複雑怪奇とも言える事
件を理解する為には、第二次大戦後のエジプトの政権の歴史を知ることが不可欠であると
筆者は考える。
まず、ムスリム同胞団とは? 1928年に発足のエジプト穏健派イスラム原理主義組織。
社会福祉活動に実績を持ち、強い組織力で各国のイスラム運動に影響を及ぼして来た為、
1954年以来非合法化されていたが、2011年のムバラク政権崩壊後に合法化された。
1952(昭和27)年7月、エジプト反英自由将校団による軍事クーデターで、実質的に英国
の支配下にあったファルーク国王が追放されて共和制が敷かれ、間もなくナギブ将軍が初
代大統領に就任、その後1956年、同じく自由将校団のナセルがナギブ一派が追放して大
統領に就任した。ナセルは陸軍士官学校卒、1948年のイスラエル建国を契機に始まった第
一次中東戦争でアラブ連合軍に加わり活躍した。ナセルと言えば、スエズ運河の国有化を
宣言、これに反対する英仏相手のスエズ動乱(第二次中東戦争)に勝利し、国有化を実現し
た実績を忘れてはなるまい。1958年にはシリアと連合してアラブ連合共和国を建国、大統
領になったが、4年後シリアの脱退で崩壊した。1967年イスラエルと戦った第三次中東戦
争で敗北、国土の東部、シナイ半島をイスラエルに占領されたことから、政権が揺らぎ始
め、ムスリム同胞団の分派ジハード団によるナセル暗殺未遂事件も起きている。1970年に
ナセルが死亡すると、副大統領のサダトが大統領に就任し、ムスリム同胞団への圧力が緩
和された。第四次中東戦争後の1979年には、イスラエルとの間に平和条約が締結された。
その2年後、イスラム原理主義急進派によってサダトが暗殺されると、その後を継いだ空
軍出身のムバラク大統領によって、同胞団などイスラム勢力は再び厳しい監視下で封じ込
まれることになった。ムバラク政権は2000年以降、経済の自由化を推進し、年率5~7%
の経済成長を達成したが、若年層失業率の高止まり、物価高、貧富の差拡大、さらには長
期に亘る独裁政治に伴う腐敗などで国民の不満が高まっていた。その時期にチュニジアで、
民衆によって長期に亘る独裁政権が倒されるというアラブ諸国には前例のない政変、「ジ
ャスミン革命」が起きた。情報はソーシャルネットワークサービスや衛星放送などのメデ
ィアによって瞬時に国境を超え、民主化運動がアラブ諸国に波及。2011年1月、エジプト
のカイロで起きた9万人弱の反政府デモは瞬く間に各地に拡大、2月、30年に亘って独裁
政権を敷いたムバラク大統領が辞任に追い込まれた。これを受けて軍最高評議会による暫
定統治が敷かれたが、11月には民政移管を要求するデモが発生。翌年6月の大統領選挙で、
イスラム原理主義組織ムスリム同胞団出身のモルシ氏が大統領に選出された。しかし経済
情勢は好転せず、物価の高騰もあって国民の不満は解消されず、政府に対する抗議活動が
激化、カイロではムバラク追放の時を上回る数十万の民衆が結集して軍の介入を歓迎、今
年7月のモルシ大統領解任となった。その後、軍の主導で世俗派(反イスラム)中心の暫定
政権が発足、マンスール氏が暫定大統領に就任、宗教組織が傘下に政党を持つことの禁止、
議会の2院制から1院制への変更などを含む憲法改正、大統領の選挙日程を決めたが、そ
れに反対する抗議デモが激化、さらに先月下旬暫定政権によるムバラク元大統領の保釈が、
抗議活動に拍車をかけた。
「アラブの春」と謳われた民主化運動で誕生した民主政権が何故短期間で崩壊したのか。
モルシ政権の脆弱さに対する国民の不満もさることながら、軍が事実上の最高権力を握っ
たままであったことに加えて、強力な利権を持つ軍に圧力を掛けたことが、軍によるクー
デターの引き金となったことは間違いない。
以上縷々述べてきたようにエジプトの政権は、長期に亘る軍の主導とイスラム原理主義
との確執で貫かれており、一方で軍に対する国民の信頼には非常にが厚いものがある。
アラブ世界を見るに、多くの国の支配者は王家か強大な軍のいずれかであり、これに対
する挑戦者がイスラム勢力という構図が浮かび上がってくる。
米国は、エジプトがイスラエルとの和平条約を遵守する見返りとして、年15億ドルの
軍事支援を続けており、これを中止するとは考えにくい。両国の軍事面の協力は、イスラ
エルを含めた地域の安全保障に不可欠だからである。米国の本音は、エジプト軍の行動を
非難する立場を取りながら、“イスラム政権の崩壊は歓迎”であろう。米国のみならず湾
岸諸国の多くが暫定政権を支持しており、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、クエート
は暫定政権成立前に総額120億ドルの支援を表明、全面的に軍を支持している。
選挙で誕生したモルシ政権の正当性を主張するムスリム同胞団は、農村部に強い地盤を
持つが全国の支持率は20%程度という。昨年の大統領選の決戦投票で、反同胞団即ち世俗
派、リベラル派、左翼などの諸勢力は、ムバラク政権の首相だったシャフィク氏の当選を
阻止するため、モルシ氏に投票した経緯があり、モルシ政権がイスラム同胞団の独裁色を
鮮明にし過ぎたことで、もはや政権の正当性は無いと主張している。
この事態を解決するためには、モルシ氏を解放し、前回の大統領選で最多票を得た同胞
団を加えた全政治勢力による民政への復帰を急がねばなるまい。EUもモルシ氏の解放、
暫定政権と同胞団との和解に向けて仲介を続けていると聞く。米国にはエジプト軍との強
いパイプがあり、影響力が大きいだけに、和解に向けた仲介を期待したい。
中東最大の人口を擁するエジプトの周辺諸国に与える影響は多大であり、原油を初めと
する国際商品相場への影響も危惧される。危機回避のためには国際社会の強い連携が不可
欠であろう。
本稿執筆中に、シリア政府による化学兵器使用が発覚した。米国は、越えてはならぬ一
線を越えたとして人道的立場から、軍事介入の意思表示をしているが、基本には、反体制
派を支援してアサド政権に代わる親米政権の樹立を図るという米国の国益がある。オバマ
大統領は軍事介入の是非を議会に図ることを表明、国民の60%強が反対しているだけに、
今後の動向が注目されるが、本稿はここで締め括りとさせて頂くことにしたい。
(以上)